今回は糸井重里さんの著書『インターネット的』という本に書かれていたインターネットの3つの特徴について書きます。
実はインターネット的の本について言及してる記事が今回で3本目。良い本は感じることが多いので、たくさん共有したくなるのです。
私たちはPC、スマートフォンが普及して以降、インターネットが生活の中で必要不可欠なものとなっています。しかし、私たちの生活の多くを占めるようなったインターネットのことを理解していない部分が多くあります。私自身インターネットについてわからないことだらけです。
これから示すような「インターネット」という概念は私たちの何を変えて、どんな考え方で作られているのかを考える必要があるでしょう。今回の記事をきっかけにインターネットについて考える時間を持ってくれたら幸いです。
糸井重里さんが示す「インターネット」において重要な考え方
糸井重里さんはコピーライターとして有名だと思いますが、実は「ほぼ日刊イトイ新聞」というウェブメディアを1997年のインターネットが普及し始めたばかりの時から運営しているインターネットの先駆者でもあります。
そんな糸井重里さんが著書『インターネット的』の中で、インターネット(正確にはインターネットを構成している価値観、考え方)を理解する上で重要な3つの鍵があると書いています。それは、
- リンク
- シェア
- フラット
です。今となってはよく聞く言葉もありますね。
それぞれの言葉がどんな考え方を示しているのでしょうか?一つずつ確認しましょう。
1.リンク
1つ目は「リンク」という考え方です。ウェブサイトを見ているときにクリックすると別のページに飛ばせるアレです。『インターネット的』のフレーズを読んで見ましょう。
インターネット的といったとき、軸になるもののひとつは「リンク」という発想です。 複雑な情報のカタマリどうしが互いにつながっていることが、インターネットの仕組みそのもの。
情報が相互につながる。たしかに、今ウェブサイトやSNSを見るとそれぞれのページが別のサイトへ誘導し、誘導した先のページでもまた別のページへと誘導し…とリンクでつながっています。
糸井さんはこれが重要だと語っています。なぜかというと、リンクという概念によって今まで関係がないように思えた情報、問題解決のためには不要だと思われていた情報がつながり、新しいアイデアが生まれる可能性を作るからです。
もともと、「問い」のほうにも、「答え」のほうにも、たくさんの付属する情報があるのですが、それが有機的につながりあうというのが魅力的です。周辺情報だとか、リンクの先のリンクにまで延々と深くつながってゆくのです。これこそが、インターネット的の一番の鍵になるわけです。
有機的という表現がすばらしい。情報が有機的につながってアイデアが広がるわけです。これはインターネットが普及してから起こった現象といえるでしょう。
例えば飲み物を買いたいので、飲み物について調べるとしましょう(Google検索やAmazon、Instagramなどのツールは問いません)。すると、飲み物の評判だけでなく、健康にまつわる話、飲み物会う食べ物の話など様々なテーマが関連づけられ調べることができます。
知識が繋がって、買い物の判断ができるだけでなく、「飲み物を買う」という行為の先にある「健康を維持する」、「食事を美味しくするための工夫」、「熱中症対策」等のテーマについて理解を深め、日々の生活の役に立てることができるのです。
今までも本を読んだり、偶然テレビやラジオで知ることで知識をリンクづけていたかもしれませんが、インターネットの知識のリンクのスピードと量は桁違いです。
インターネットを使って調べてものをしていると、知りたい知識そのものを調べているのか、リンクされた内容を知るために調べているのかわからなくなります。
一見、不要な情報からのつながりに可能性を見出せるということが、「リンク」という考え方にはあるのです。これは、インターネットのとても得意なことではあります
一見関係なさそうなことまで繋がるのはインターネットの良いところだと思っています。
自分のブログでも、色々な情報や考えをリンクさせて面白い読み物にしたいと思っているんです。今はできなくてもこれから、少しずつ。
2.シェア
2つ目は「シェア」という考え方。SNSをやっている人であれば誰でもわかるでしょう。しかし、これもインターネットによって情報が爆発的に拡散できるようになったきっかけの一つであることは異議なしですね。
リンクがインターネット的の核であることはわかりましたが、もうひとつの大切な鍵は「シェア」です。翻訳するなら、〝おすそわけ〟といったニュアンスでしょうか。
インターネット的という考えからしたら、たとえば企業が市場を〝独占する〟ということなどは、ちっともカッコ良くないのですね。誰も、うれしくない。誰もうれしくない、ということを推し進める企業が、市場の主役である人々から嫌われていくであろうことは、これからの社会の動向を見ていかなければ結論づけられないとは思うのですが、予感的には、ぼくはそうなっていくだろうと考えています。
自分が知ったおもしろいコンテンツ、役に立つ情報を他の人にシェアすることで、面白さ、情報を分け与えることができます。
インターネットがなくても行われていたことですが、インターネットが普及することが明らかに今までよりもおもしろいことが拡散される量が増え、スピードが上がりましたよね?
糸井さんの視点で興味深いのは、シェアという考え方がインターネット的であり、企業が市場を独占するのはかっこよくないとしている点です。
多くのアイデア、情報がシェアされるのに、支配しようとするのはインターネットの考え方としては好かれないということでしょう。
Google・Amazon・Facebookなどの企業はインターネットの情報を自分で確保して独占しているように見えますが、本当はもっとオープンに、もっとアイデアやサービスが多くの企業や人にシェアされた方がいいんでしょうね。生活が豊かになるスピードも上がるでしょうから。
とはいっても企業が独占を目指すのは、企業である以上は仕方がないもの事実。
TED-非常におもしろいアイデアのプレゼンを見ることができるサイトです-のコンセプトである「Ideas Worth Spreading(広める価値のあるアイデア)」のように、良いアイデアが企業の規模に関係なく広まったらいいなと思います。
市場がイニシアティブを持つ」という背景を考えたとき、企業にとっての「シェア」の考え方というものがきわめて重要になってきます。企業が自分の利益を考えるのは当然のことなのですが、その利益を何らかのかたちで社会に「シェア」していくという考え方が、もっと大事になると思うのです。
シェアの上手な会社は、これからの時代には、とても好感を持たれることになるのではないかと、ぼくは思っています。
利益、情報を確保するのはしょうがないにしても、それを広くシェアできることって大事ですよね。
持っているものをシェアすることが当たり前になったら、今よりも多くの人を喜ばせることができますし、好かれますよね。たくさん与えてくれる人を嫌いになるのって難しいですし。
人と共有すること、分け与えることが良いことだとされる文化になったらいいな。インターネットには分け与えることを良しとする文化を作る力があると信じています。
3.フラット
最後3つ目は「フラット」という考え方です。
フラットというのは、それぞれが無名性で情報をやりとりするということと考えられます。情報のやりとり自体に意味があるので、そこでは、それぞれのポジション、年齢、性別、価値などの意味が失われているわけです。失われるのはイヤだ、という人にとっては、ありがたくないことでしょうね。せっかく築いてきた地位が、意味をなさないような場が、インターネットのつくり出す「フラット」な世界なのですからね。
現実世界の権威や、地位などが意味をなさずにフラットになると書かれています。平等といってもいいかもしれないですね。
たしかに、ネットの世界を見ていても現実の世界の地位が意味を持たないことがあります。現実で偉い人であったとしても、発信している内容が良くなければ評価されないというのはインターネットの世界では顕著でしょう。
5chやSNS、YouTubeなどもともと大きな発信力のなかった個人が発信できるようになりました。これも、インターネットがフラットでおもしろいコンテンツを提供できれば拡散されるからこそだと思います。
これから、もっとフラットに、もっと権威があるから正しいのではなく内容そのものが良いから評価される世界になったら嬉しいです。
価値観も、もちろんフラットになっていくでしょう。いままでの社会での価値体系は、誰にでも納得されるものではなくなっています。さらに、これからは、個人の価値観に合わせて個人のプライオリティ(優先順位)が自由に組み替えられていくでしょう。
インターネットの世界がフラットで、多くの人がインターネットを使うようになれば価値観も個人・家庭の価値観に合わせて多様化するんですかね。
フラットに並ぶ様々な価値観の中から、「私はこれが良い」と選ぶのかな?
だとしたら、新しい価値観、古い価値観関係なく、幸せに生きることができる価値観が並び、選ばれるといいななんて思ってしまいます。
最後にー私たちはインターネットとどう付き合えばいいのか?ー
以上、インターネットの3つの鍵となる考え方、特徴を解説しました。
- リンク
- シェア
- フラット
の3つの価値観がインターネットというものを特徴づけています。
では、これらの考え方を中心として持っているインターネットとどのように付き合えばいいのでしょうか?
『インターネット的』の本を読んで思ったのは、以下の2つです。
- まだインターネットとつながっていない人とどう繋がるか?
- インターネットの広い世界の中で自分は何をするのか?
まだインターネットとつながっていない人とどう繋がるか?
インターネットにつながっていない人たちと、ちょっとだけ先にインターネットにつながったぼくらがどういうふうに重なりあっていくか──そのことが大切なのだと思います。
引用した文章が全てです。
スマートフォンの普及率が上がり、多くの人がインターネットとつながっているとはいえ、主な使い方は電話の替わりとテレビの替わりがほとんどでしょう。
まだインターネットをフル活用できている人は非常に少ないと思われます(今度、ここれをテーマに書いてもいいな!)。
私たちの生活は日々の活動を振り返ればわかるように、非常に多種多様な活動があります。
インターネットに馴染んでいる私たちが、インターネットをフル活用できていない人へ
- 「日々の生活の不便をインターネットで解決できる!」
- 「インターネットを使えば、もっと広い世界の情報がわかる!」
などと示すことができれば、もっと多くのビジネスが生まれ、新しい活動が生まれるでしょう。
インターネットの世界は始まったばかり、現在馴染みのない人へアイデアを提案できればもっとおもしろい活用のされ方があるでしょうね。
インターネットの広い世界の中で自分は何をするのか?
インターネットは人と人が繋がりやすくなるツールでしかない。
忘れがちですけど重要です。インターネットすげーといってもインターネット自体は広い世界を作るだけですから、何かを作ることはできません。
ぼくとしては、インターネット自体よりも、それがもたらす〝インターネット的であること〟に、より可能性を感じています。インターネットは人と人をつなげるだけで、それ自体が何かをつくり出すものではありません。
あくまで、人の役に立てる何かを作るのは私たち人間です。
豊かなものになっていくかどうかは、それを使う人が何をどう思っているかにかかっているのではないでしょう。
ネットを囲む環境ごと見つめていかないと、人間が取り残されてしまい、流行の概念だけが次々に浮かんでは消えていくような気がします。
インターネットそのものが偉いわけではない。インターネットは人と人をつなげるわけですから、豊かになっていくかどうかは、それを使う人が何をどう思っているのかによるのだとぼくは考えています。極端なことを言うと、〝インターネット的であるためには、パソコンすら必要ではない〟ということもあり得るわけです。
流行りだからインターネットに触れるのではなく、インターネットの世界を理解し、インターネットの世界の考え方を理解した上で自分が何をするのかが問題です。でないと、ただ流行に乗っているだけで中身スカスカの人になってしまいます。
インターネット的であるためにはパソコン、スマホはいらない。
権威など関係なしに(フラット)、情報を繋げて(リンク)、多くの人へおすそ分け(シェア)できる自分でいれば強みを発揮してインターネット的に多くの人の役に立てるんじゃないかと思います。
[box03 title=”これだけは頭に入れて帰ってね!”]
インターネットの基本的な考え方、特徴は
- リンク
- シェア
- フラット
[/box03]
[box01 title=”考えてみてね”]
- まだインターネットとつながっていない人とどう繋がるか?
- インターネットの広い世界の中で自分は何をするのか?
[/box01]
前に書いた記事もよかったら読んでください。
https://nonbiri-log.com/marketing-essence/
https://nonbiri-log.com/internet-teki-book-1/