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パワースポットとかアニメの聖地巡礼ってどこから生まれたの?【『聖地巡礼』より】

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突然ですが、問題です。次の作品の共通点がわかりますか?

  • 君の名は
  • 僕だけがいない街
  • 心が叫びたがってるんだ
  • らき☆すた
  • 冴えない彼女の育てかた
  • 新世紀エヴァンゲリオン
  • サマーウォーズ
  • 時をかける少女

正解は、これらは「作品の舞台が聖地として認知され、観光名所になっている」です。もちろん、これらの作品以外にもたくさんありますよね、聖地になっている作品って。今はロケ地・舞台・聖地がサイトにまとめられたりもしています。

関連サイト:「東京都」「ロケ地・舞台・聖地」国内旅行・観光ガイド

聖地ってそもそもどういう意味合い?

それにしても、「聖地」という言葉はあまり合わない気がしますよね。有名作品の舞台でファンも多いですが、聖地とまではいかない気がしませんか?

「聖地」とは元々宗教的に重要な意味合いを持つ場所を指します。

海外では、ノートルダム寺院、エルサレム、メッカ、ローマ等々。日本では出雲大社や伊勢神宮などがありますね。

kagoshima-Kirishimajinguこちらの写真は鹿児島県の霧島神宮です

主要な宗教の総本山や信仰的に重要な意味合いを持つ場所です。しかし、今はパワースポットめぐりや作品の舞台を巡る観光的な意味合いのほうが強いと思われます。

いったい、宗教的な意味合いの「聖地巡礼」という言葉はどのような歴史をたどって今の「聖地巡礼」の意味合いになったのでしょうか?

これらのテーマについて丁寧に考察しているのがこちらの本。

今のアニメや漫画の聖地巡礼やパワースポット巡りの起源は何かを解説している一冊。

『聖地巡礼』のざっくりとした内容

この本では宗教としての聖地巡礼を起源としてそこからの展開を示している。

今風のタイトルをつけると「聖地巡礼2.0」とか「教養としての聖地巡礼」とかになりそう。出版社は幻冬舎かダイヤモンドあたりで出版かな笑

江戸時代には、そもそも純粋な観光旅行も、純粋な巡礼も存在していなかったからである。両社は結びついていたというよりも、区別できない未分化の状態にあった。

これに対して近代以降は、整理巡礼と観光はひとまず別の現象として語られてきた。聖地巡礼は宗教の領域に属し、観光は世俗の領域に属すものとされてきた。

ただ、その様相は、現在また変わろうとしている。巡礼と観光が、宗教/世俗と分けて語られる状況から、さまざまな場所で巡礼と観光が結び付き、両者が変更し始めているのだ。

宗教上重要な意味合いを持つ場所へ行くことによる信仰的な話から始まり、信仰が個人化し、観光としての聖地巡礼と混ざり合うプロセスの説明は難しい部分がありながらも歴史をたどれて面白いです。

最終的には宗教と関係なくパワースポット巡りやアニメや映画、ドラマ作品の聖地巡礼等の文化が生まれる結果についても述べています。

この本を読むと、観光地の元々の意味合いや重要性を考えながら旅行がしたくなるのは自分だけじゃないはず。知識が増えると物事を見る視点が増えるのは勉強のメリットの一つだと思います。

聖地は宗教的な意味を知らないと行ってはいけない?

この本を読んで考えるのは聖地は大衆的で観光地として栄えるべきか、宗教やバックグラウンドを深く理解している人のみが足を踏み入れる神聖な地として残すべきか?という問題。

個人的には一定の条件を満たして大衆化されるであるべきだと思いました。

この本にも書いてあるが、聖地が歴史を届けるものである以上、語りづがれなければなりません。ごく少数、個人が知っているだけでは聖地としての役割を持ちませんし、世代が変わった瞬間認知されないまま消滅してしまいます。

原理的には、誰か一人でもそこと聖なる場所だと信じる人がいれば、そこを聖地と言うことはできなくもない。しかし、一個人の信念だけに基づく聖地が社会的に意味を持つことはないだろうし、その場所が世代を超えて受け継がれることもない。そして、一個人や世代を超えて共有されることがなくては、そもそも、その場所を聖地と呼ぶ意味はないだろう。重要なのは、ある場所を聖地として、社会的に表現され共有されることである。

『聖地巡礼』より(太字は私が個人的に施しました)

そう、聖地が宗教的なのか観光スポットとして重要かという話をするためには聖地が語りづがれなければなりません。ということは、一定数の人が認知しないと聖地として残らないのです。

だからマーケティングのようにして集客して多くの人を集める努力をするのは、ある場所を「聖地」として残したいのであれば必要最低限の行動です。

しかし、もう一つ重要なのは聖地を聖地たらしめる意味を伝える媒体を用意すること。

「なぜここが聖地として重要な意味を持つのか?」といったストーリーやバックグラウンドをコンテンツとして残さなければいけません。それがないと人が集まったところで聖地として語り継がれず大切にされないでしょう。「なんかわからないけどたくさん人がいる場所」では建造物を残す意味もありません。意味があって初めて聖地です。

例えばキリスト教の建造物が聖地として残っているのも、聖書があり、聖遺物と呼ばれるストーリを表す物があり、聖地で多くの人が残した物語があるからこそだと考えています。

とここまでいろいろ書きましたが、ストーリーを残して、マーケティングをしたら観光地としても宗教的な場所としても聖地が残るんじゃないかということを感じたので共有しました。

最後に

最近は観光としても、アニメや映画を楽しむ行動としても、聖地巡礼が一つの文化になっています。その時に、「ここはどんな意味があるんだろう?」と考えることで、より楽しくなるんじゃないでしょうか?

同じものを見るとしても、自分の知識が増えて、考える視点を多く持った方がはるかに楽しいですから。

ということで、観光やアニメの聖地巡りが好きな人が趣味を深める意味で読んだらいいんじゃないかなと思いました。

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イチョウの木
はじめまして!このブログの管理人です。興味が広いので、気になったことを深堀下記事を書いて読者の方と感じたことを共有し合えればうれしいと思っています。
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